ぼく、ドラえもんでした。 大山のぶ代

「ぼく、ドラえもんでした。」 大山のぶ代

ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話

ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話

【作品概要】
藤子・F・不二雄原作の漫画、ドラえもん。26年間その主役ドラえもんの声を担当し続けた大山のぶ代によるドラえもん史。

さて、どんなものか…と読んでみた。

【あらすじ・概要】
2005年3月4日、26年間続けてきた「ドラえもん」録音の最後の日から物語はスタート。のび太くん、しずかちゃん、ジャイアンスネ夫…仲間たちと共に息もぴったり!で始まった第1回収録。驚きの高視聴率、人気はのぼり調子、夏休み・冬休みの特番、そのうち映画化も決定、映画に関連するPR仕事やキャラクターCM、映画前の舞台挨拶(ドラえもんのぬいぐるみと一緒に)、各地への公演…と緊張に多忙を極めつつも楽しい毎日。そんななかで実際に全国のたくさんの子供(そしていつの間にか子供から大人になってもファンでい続けてくれる大人、も)に出会い、ドラえもんが与える影響、笑顔、みんなの素敵な反応に時に涙、時に笑顔の大山さん。みんな、ドラえもんの前ではいい子になれる。(子供も大人も)。もちろんハプニングも…。

EX.大山さんのサインをもらおうと長い行列の子どもたち。車椅子の男の子がお母さんに押されて、列を飛び越してやってくるも大山さんの「みんなと同じだよね?」に「うん、おんなじ」と笑顔で待つ男の子。そこから始まった1年に1度の文通は、今も続いてる。
EX.映画試写会に集まった満席の子供たち、それなのに…映画が出来上がらなかった!!…スタッフも蒼白のなか、「映画チケットと全員プレゼントとお詫びの説明」するも、今日、ドラえもんと会える!と楽しみに来た子どもたちは、あえないと聞いて泣き出してしまう…。ごめんなさい!と一緒に泣き出してしまう大山さん。

そんななか、藤子・F・不二雄氏の死、その後もみんなで盛り立て続けた日々、みんなで悩んで考えての引退…。その後、そして現在。副題に「涙と笑いの26年うちあげ話」とあるとおり、まさに、テレビ放映の最初から26年間かかわり続けてきた大山のぶ代による、マル秘話。

【感想】
いわゆる超人気作品というのは、本当に驚くほど多くの人が関わって完成している。その「スタッフみんな」が本当に仲良く、ドラえもんと一緒に、手と手をつないで、日本中の(いまや世界中の)子どもたちへ向かって、「いいものつくろう!」と明るく楽しく元気に、時に涙し、時におびえ、驚き、そして勇気をふるって立ち向かった作品なのだな、ということがしみじみと伝わってくる。そして、大山のぶ代さん、こんなにまっすぐにこんなに純粋に、自分の仕事を楽しみ、そしてドラえもんを心から愛した人もいないかもしれない。こんなに誰かに愛されたキャラクターは幸せだなぁ。と心がほわっと明るくなりました。小学校の頃、そうえいばドラえもんみたなぁ、という方、自分がリアルタイムで見ていた、あの「ドラえもん」にもう一度大人になって出会えたら…そんな、なんともいえない邂逅があるかも。一読の価値ありです。