同じ時のなかで スーザン・ソンタグ

「私、この人が好きだと思う」
これが第一印象。

――表紙の写真(著者:すーざん・そんたぐ様の横顔)に
一目ぼれしてしまった、のです。

同じ時のなかで

同じ時のなかで

読書量にかけては今や会う人会う人に「変態・変人」としか
言われないぐらいの量は読んでいる私ですが、
こういうインパクトある出会いって、、、
めったにない。久々に来たーーーーっ!って感じです。


この本の編集者様、ブラボー!!!
よくぞこの写真、この大胆なレイアウトデザイン、
勇気を持って選び決められたと思います。

…って、凄いのはもちろん、
外側(装丁)だけじゃないのです。


「凛とした」
この本を一言で言い表すのならば、これ。
ユダヤアメリカ人である彼女の著作に対して、
この”THE日本”的な形容が、最も合うのは不思議かもしれない。)

その文体・内容から来る印象は、
美しく、かつ、強さがある。
そう、絵画にたとえるのなら…
上村松園「序の舞」の、
揺るぎない意思の力と、
見事に鍛錬されたその手によって美しく差し出された扇、
稽古事に打ち込む古来日本女性の、一瞬に凝縮された”美”。

”美”とは言っても甘いとか、優しいとか、そういったものではない、
もちろん媚びるわけでもなく、
かといって女性であることをあえて隠すわけでもない、
女性としての感性はきちんと、その人間性の中に、
紡ぐ言葉のなかに感じられる。

この絶妙なバランス感、ニュートラルさ。
ソンタグの「書くこと」に対する真摯な姿勢、
どこまでも突き詰めていくことは、そぎ落としていくこと、シンプルであること
それをし続けることで生まれる揺らぎのない強さ。

求める情報が凝縮され、凝縮され尽くすのは、、、
それはまるで、
地底の奥深くで泥が圧力によって結晶化しきらめくミネラル(鉱石)となるよう。

泥が凝縮されて無色透明に輝くダイヤとなる――
読み終わったあとに、そんなことをぼんやり思いました。
…私の印象はさておき。

・「ドストエフスキーの愛し方」(1)
・「同じ時のなかで」(2)
私は、この本の中でも、突出してこの2つが好き☆
もちろん、ドスちゃんが大好きだから!っていうのもあるけど、
この(1)に出てくる本「バーデンバーデンの夏」というのが
めちゃめちゃ読みたくなります。そんたぐの手放しの絶賛がまた、
すばらしくて!!!萌え心もそんたぐにかかると、こんなにかっこいいのか!
と、また衝撃を受けたりします。
「バーデン〜」は私も未読ですが、著者の旅とドスちゃん(奥様と旅行中)が
一冊の本のなかで不思議に交錯していく話だそうです。
今度読むぞ〜〜〜☆

(2)は、これはもう、すばらしい!!!としかいいようがないです。
作家がすべきこと/作家の美質/書くこととは何か/
何かの形で「言葉をつくる」ことに職業として携わっている人は
一度は読むべきだと思う。
読んで衝撃を感銘を受けることはあっても、
「損をした」と思うことは絶対ない。

私が好きな作家として、本日、新たに一人「ソンタグ」が加わりました。
「同じ時のなかで」スーザン・ソンタグ
これは名著です。




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【名言】
・言葉は対象に対して変化を起こし、何かを加え、何かを差し引く。

・「芸術における真実は、これまた真実である矛盾を抱え込んだ真実である」。

・作家の第一義務は、意見を持つことではなく、真実を語ること……〜略〜
多くの異なる主張、地域、経験が詰め込まれた世界を、
ありのままに見る眼を育てることだ。

・最も大切にしているもろもろの価値のなかには、
矛盾も、ときには緩和しえない対立もありうる、
ということを想起させること(「悲劇」とはまさにこのことを指す)

・作家がすべきことは、人を自由に放つこと、揺さぶることだ。
共感と新しい関心事へと向かって道を開くことだ。
もしかしたら、そう、もしかしたらでかまわない、
今とは違うもの、よりよいものになれるかもしれないと、希望をもたせること。
人は変われる、と気づかせることだ。

・「この下界では、生きることは変化することであり、
完全な生とは変わり続けてきた生のことである。」

・文学は対話であり、反応の行き交いです。
複数の文化が進化し相互理解するのにともなって、
活気をえていくもの、また、消滅していくもの。
それらに対する人間の反応の歴史が文学です。

・文学は、世界とはどのようなものかを私たちに教えてくれます。
文学は、基準を与え、言語によって、また物語によって
具体化された深い知識を伝えてくれます。
文学は、自分でもなく自分たちのものでもない存在のために
涙を流す能力を醸成し、鍛錬してくれます。
自分でもなく自分たちのものでもない存在に共感できないとしたら、
私たちはどんな存在になっていたことでしょうか。
少なくとも何度か、我を忘れることがなかったとしたら、
私たちはどんな存在になっていたことでしょうか。
もし学ぶことが、許すことができず、
自分たち以外の存在になることができなかったとしたら、
私たちはどんな存在にあっていたことでしょうか。

・私は物語をする人(ストーリーテラー)なのですから。

・(作家がすべきことは…)
「いくつかあります。
言葉を愛すること、文章について苦闘すること。
そして、世界に注目すること」。

・真摯であること。けっして冷笑的(シニカル)にならないこと。

・したたかにたくらみを凝らして、ドストエフスキートルストイ、ツルネーゲフ、
それにチェーホフに確実に触発され、影響をうけることがかないそうな時代にうまれること  (―作家の美質、について)

・書くことは何かを知ることだ。
多くのことを知っている書き手の作品を読むのは、
なんという歓びか。
あえて換言する。文学は知識である―だが、その種のもっとも偉大な例でも、
不完全な知識であることは変わりない。
あらゆる知識が不完全であるように。

・(ナディン・ゴーディマーについて)
文学に生き、歴史に生きるかぎり避けられない矛盾と人の心について、
彼女は賞賛に値するほど複雑な見方を紡ぎ出してきた。

・小説家は読者を旅に連れ出す人だ。空間をたどり、時間をたどって。
小説家は読者を先導して深遠を飛び越え、ものごとをそれまで
存在していなかった別の場所へと運んでいく<<

【構成】
スーザン・ソンタグ最後のエッセイ集」と帯にもあるとおり、
そんたぐ様の、主要テーマ(文学、写真、美についてetc…)が
講演録やエッセイという、非常にわかりやすく簡潔な形で読める。

【こんな人におすすめ】
文学&言葉を愛する人、職業にしている人/そんたぐ好き(コアなファンにとっては、最後の遺稿集は必読ですよね)/初ソンタグの方(主要テーマをそれぞれ簡潔な分量で読むことができる、講演録も多いので読みやすい)/政治・思想に興味をお持ちの方/最近「白熱教室〜マイケル・サンデル教授」「超訳 ニーチェの言葉」など哲学ブームで思想・哲学が気になっている方/自分の考えを自分の言葉にしたい人/自分の核みたいなものを持ちたい人/レベルアップした知的な会話ができるようになりたい女性 などなど