ショパン、との邂逅。

ショパン―――
情熱的で、
悲しみが深く、隅々までいきわたっている‥

深く、かつ、隅々までいきわたっている悲しみの状態”って…私が思い描いたのは、そう。北海道の道東、野付半島のトドワラ・ナラハラの立枯れの光景。(もちろん冬。先には日本最大の砂州と国後半島。)・・・あの、果てしない荒涼とした光景。壮絶にこわいです・・・何がこわいって、その風景ほどの悲しみ、が現実のものだとわかったから。
           
私をグサっといきなり刺したこの一言は、ショパンが住んだポーランドで10年、ピアノ一筋に生きてきた、さわやかな笑顔の女性奏者の言。「悲しみが深く、かつ、隅々までいきわたっている」っていう言葉が、いかにシンプルに的確に、彼女が掴んだショパンの真実を言い当てているかが伝わってきて、それが心の芯の部分にダイレクトにきたのです。すっごく入りすぎて壮絶にこわかったけど、同時に、「真剣に、真摯に見つめ続けた人の言葉は、過剰でなく不足もなく、本当に美しい。」とすごい感動もした。自分のすべきことに注力せねば、と気持ちが引き締まる思いでした。


※それにしても…彼女の演奏とショパンへの理解の深さは本当に本当にスバラシイのに、なんだかあの屈託のない笑顔が邪魔をしているような、、、いえ、屈託のない笑顔は本来素晴らしい資質だと思うのですが、彼女の「深み」を隠してしまっているようで…服装とか髪型とかもっと影があるというか迫力あるというかそっち系にして、笑顔は最後の一瞬以外封印、とか演出してあげた方が彼女の(掴んでいる演奏の)本質に近づくような…ちょっともったいない気がしました。そういうことって、ときどきあるんだなぁ。と思います。

クラシック音楽は興味深々だけど未知の世界です。
ショパンさんについて今日知ったこと。ポーランドに住み着いたフランス人。古典的な楽譜の書き方をする人で、バッハをとても尊敬していた。あと「ルバート」を復活?させた人。


「ルバート」
テンポ・ルバートtempo rubatoの略。語源は「盗む」を意味するイタリア語ルバーレrubareだそうです。
「盗まれたテンポ」なんて訳したりもして、要するに音の伸び縮みの「揺れ」「自由度」「個人差」みたいなことみたいです。元来、同じテンポを保つべきとされる西洋音楽において、テンポを自由に動かしながら演奏する、という記号があること自体、ステキですね。
そして・・・何事においても「ちゃんとやらなくちゃ」みたいな意味不明の使命感?極度の緊張傾向を持ちやすい私にとって、これは!とってもとってもイイ言葉です☆るばーと、るばーと、るばーと・・・自分の語彙に定着させたいです。

ショパンさん・・・一般的には「ピアノの詩人」とか言われて、ノクターンにワルツ、日々流れているドラマや映画で頻繁に使われているとか。実際聞いたら、耳慣れた曲が確かに沢山ありました。でももう、私の印象は「隅々まで悲しみがいきわたっている人」だ・・・。

あ、今日は六本木でショパン聴いてきました。心があるべきところに落ちた感じ。はぁ〜‥。