泉鏡花、論。〜別冊太陽 美と幻影の魔術師 泉鏡花

泉鏡花、私が「好き」と言える作家の一人。泉鏡花本人に関するもの(要するに評論を除く)は、ほとんどの場合、無判断で購入します。
今日もまた、一冊。

別冊太陽 泉鏡花 美と幻影の魔術師 (別冊太陽 日本のこころ 167)

別冊太陽 泉鏡花 美と幻影の魔術師 (別冊太陽 日本のこころ 167)

平凡社ならではの別冊本なので、ぱらぱらとめくり楽しむ。うちに、ふと気づいた。
そうか、だから私は鏡花がこんなにも好きなのか。と。
目に入ったのは、この言葉。
―人間の心に潜む闇に、泉鏡花が〜

泉鏡花の作品は、「色の魔術師」とか「華美」とか言われるように、その表されるものは誠に美しくきらびやかで、そして、ひたひたとする静けさ、募るような怖さが―ある。初めて鏡花作品を読んだのは…15年も前のこと。その文章に惹かれて惹かれて、気がつくと読み終わっている。「あれ?結局、なんだっけ?」と筋を知らんがために、もう一度辿る。この読書の衝撃、今でも忘れられない。要旨を捕まえられないくらい、その瞬間瞬間に強く強く引き込まれてしまう。そして、要旨が捕まえられないのに、ぐいっと捕まれた私の心は、読み終わってもその場所におり、戻ってこられない―。
鏡花の文章には、やさしくてひんやりと繊細で美しいのに、そんな真に迫る恐さ、がある。

今日の今日までずっと、私はその文体に惹かれているのだと、そう思っていた。こういう文体がすきなのだと。元来、”やりすぎ”といわれる位に編集度の高いものを好む傾向があるから。

鏡花が描く絵空事、の、その描き方が私は好みなのだと思っていた私は、いかに「自分を知る」ことにおいて浅はかだったのか。私が本来愛してやまなかったのは、絵空事のように描くことでしか描けないほどに凝縮された、人の心の奥深く。人間の真相。さらに言えば、じぃと見つめて見つめて、その心のひだのひだ、その微細な色形まで見つめ抜いてそれを知ろうとし、言葉にしようとする鏡花の姿勢に惹かれて続けていたのだ。

もちろん、その編集度の高さも、この鏡花の姿勢ゆえ、ではあるけれど。
本当に伝えたいことを伝えるには、真剣に、10倍、100倍、の微に入り細を穿つような決め細やかさと、そのためには、不要なことをざっぱりと痛いほどに思い切りよく切り捨てる作業と、この両方が必要である。鏡花作品は、この2つが、突出している。

たとえば「外科室」。
【あらすじ】9年前にすれ違ったとき一瞥をくれただけの男女が、執刀医(男)と患者(女)として出会う。執刀の瞬間=死の瞬間となるそのときに、お互いに秘めたその'愛'を打ち明けあう。女、絶命。

外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫)

外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫)

まとめれば3行で済むこの筋、ここには、男女の'愛'を究極にまで純化させた、人間の真相についてのある結論だけが、その結論だけを強烈に感じられるように、描かれている。と思う。

自分の好きなものは、自分を知ること。でもあると思う。

【別冊太陽 泉鏡花〜美と幻影の魔術師 の感想(まとめ)】
鏡花好き暦15年にも、はっ。という瞬間を与えてくれる本。いつもながら、平凡社の別冊太陽シリーズは美しく、かつ、大胆、そして細部まで行き届いている。観ていて気持ちがいい。写真を大きく使っているのがまた○。鏡花主要作品のあらすじ、美本装丁について(橋口五葉、小村雪岱鏑木清方他)も良。よくまとまっていて美しい。ビジュアル化を真剣にやっていて、鏡花作品の入門書・案内書的には良書。明治文学や、耽美主義、歌舞伎等々の方面について興味がある方は一読の価値あり、かと。(鏡花で卒論書く人は、書き出す前に買うことをおススメ)